DQ12のタイトルロゴをよーく見てください
色合いが青とオレンジですね?
そしてダークドレアムも青の鎧とオレンジのマント
これは偶然の一致でしょうか!?
恐らくDQ12の主人公=ダークドレアムなんじゃないでしょうか?
ほら、堀井さんも「ダークなドラクエ」って言ってたでしょう?
DQ11でロト作を掘り下げたとなれば、次は天空の番だと思うし
そうなればきっとダークドレアムも絡んでくるでしょう?
DQ12=ダークドレアムの若い頃の物語!!
いかがでしょうかこの説!?
ダークドレアム
DQ12タイトルロゴ
※クロコダイルとクロコダインの共通点
初の中ボス(七武海&六団長)
主人公の危機を救う(ルフィ&ダイ)
渦巻き状の技を持つ(砂嵐&会心撃)
女とコンビを組む(ロビン&レオナ)
国王を傷つける(アラバスタ王&ロモス王)
迷うこと無く逃げを打つ(マゼラン&キルバーン)
同僚から共闘を持ちかけられる(ドフラミンゴ&ザボエラ)
牢獄に入ったことがある(インペルダウン&バーンの牢獄)
>>1
DQ12のタイトルロゴ
最後の「T」の文字が他シリーズだと剣の形をしていますが
12では普通の「T」の形をしています
これはダークドレアムの手に持つ武器が剣じゃないからでしょうか? ホイミ → ベホイミ → ベロニカ → ベホマ → ベホマラー → ベホマズン
DQ5は「移植」ではなく、もう1回ちゃんとしたのを作り直せば
さらに化ける作品なのにな。 その辺が惜しいわ。
現状でも悪くは無いが、ちょっと過大評価されてるように感じる面はあるわな。
例えばオリジナルの時にスライムナイトはAIでちゃんと「マホトラ」を使ってくれた。
それがリメイクではほぼ使わなくなった。
この残念さをまず理解してる人間が作り手側にどれ位いるのかという話だよな。
些細なことに思うかもしれんが、こういうのがとても大事なところなんだよ。
DQ5というのは「勇者探し」の旅であるんだけども、
実は勇者は2人居るということに気付いているかな?
1人は主人公の息子である勇者。
そしてもう1人が先に挙げたスライムナイトなんだよ。
「勇者」の一番のアイデンティティは「万能」であること。
でもおのおのの得意とする面においては戦士や魔法使いには敵わないかもしれない。
そういった側面を強く持ってるのがスライムナイトなんだ。
ある時は剣で攻撃し、ある時はホイミで回復し、またある時はマホトラでMPを奪ったりする。
さらに呪文やブレスに対する耐性も優れている。
この万能さが売りのスライムナイトだからこそ、先に挙げた「マホトラ」の件は些細な事ではないと分かる。
DQ5というのは、前半の勇者がスライムナイト、
後半の勇者がレックスという二層構造を持った作品なんだ。
勇者探しの旅でありながら、早々に勇者に出会ってるというw
その意味でスライムナイトの呪文がイオラ止まりで、
イオナズンまで覚えなかったのは実に素晴らしい判断だったと思う。
それでこそ勇者らしい「不器用さ」が演出できてると言えよう。
一見些細に見える事が実はとても大事なことだと気付けるかどうか。
一つ一つの疑問に対しての自問自答の繰り返し、それこそが「ゲームバランス」なんだよな。
昔スーファミで「信長の野望」ってゲームがあってだな。
あれって自分のターンが回ってきて、内政したり外交したり時には戦争したりするんだけど、
ターンが終了すると、他の大名のターンが終わるまで待たないといけなかった。
時間にして何十秒とかあるいは分単位の時もあったと思う。
それからまた自分のターンが巡ってくる → 他大名のターン、の繰り返し。
それが最近は技術が進歩して、自分のターンが終わると一瞬で他大名の処理も終了して、
またすぐ自分のターンが回ってくる。
ふざけるな!!と言いたい。
あの他大名の処理中に、ぼんやりと画面上の日本地図を眺めるのが良かったのに…。
地図を見ながら戦略を練ったり、物思いにふけったり、あるいは空想を膨らませる時間があった。
それが最近の「信長の野望」はせっかち過ぎる。
そんなに早く他大名の思考を終わらせるなら、もっと思考内容を洗練させることだって出来たハズだ。
それによって多く時間がかかろうとも、それは「肥やし」になる意味のある時間だ。
何が言いたいかと言うと、アナログの時代に時間がかかったことが必ずしも「悪」では無いということ。
いやむしろそういう「遊び」の時間こそが貴重だと言いたい。
最近のドラクエはレベルがさくさくと上がり過ぎる。
昔のDQの、画面をちょこちょこ移動しながらちまちまと戦闘を繰り返すスタイルのレベル上げ、
あれがどれだけ素晴らしい時間だったのかということ。
レベル上げに時間がかかるからこそ、自分やモンスターのことが把握出来るんだ。
“釣り” なんかと一緒で、ほとんど変化が無い中にちょっとした変化を楽しむ。
同じ状態が長く続くから、武器や防具を買った時の進歩、あるいはレベルが上がった時の
進化が体感できる。「はがねのつるぎ」を買った時の喜びは何物にも代えがたかったはずだ。
ただの作業に見える「レベル上げ」が、実は “黄金時間” だったということ。
無駄な時間と決めつけて、さくさくとレベルが上がる仕様は改めて欲しい。
今は電車の中でスマホとか、「レベル上げ」に適した環境にもなってきている。
“時代の変化” を感じ取り、あの素晴らしかった「物思いの時間」を取り戻して欲しい。
「ふくろ」って要らないよな?
あれがあるだけで攻略が簡単になってしまう。
そもそも大量の物をどうやって収納してるんだよと…(お前はドラえもんかと)
11Sで多少なりとも難易度に手を付けてゲーム性回帰の兆候が見えたんだから、
「ふくろ」というのもその延長として考えてみてもいいかなとは思う。
一つの案として、馬車や船などの乗り物を「ふくろ」代わりにするのはどうだろうか?
それらが手に入って初めて倉庫としての機能が使えると。
そうすればダンジョンに挑むときは手持ちのアイテムのみで挑むから、
緊張感もより増したものになるのにな。
序盤もまだ乗り物が手に入ってないから、薬草持ち放題でヌルゲー化とかしなくて済むしな。
そもそも薬草は買えなくしてもいい位だ。(フィールドの “キラキラ” 専門にする。)
序盤に薬草を、中盤に魔法の聖水を、終盤にエルフの飲み薬を大量にストックじゃちょっと萎えるじゃん。
よく、「それなら自分で縛ればいい」とか聞くけど、
ユーザーにそういうのを強要している時点で
ゲームとしては不完全だと言ってるようなものだからな。
「自分で縛る」っていうのは、ある程度そのゲームを体験した人でないと、
何をどの程度縛ればいいのかは見えてこないんだよ。
つまり初見の人に「自分で縛れ」って言うのはまず無理がある訳で、
そういう意味でもやはり作り手側が積極的に調整すべきところはしていくのが理想だと思うわ。
よく、「DQ11は面白かったけど、何度もやる気にはならない。」という声を聞く。
この感想こそが、DQ11を端的に評価していると言える。
つまり、「面白かった」=ストーリーが良かったということ。
「何度もやる気にはならない」=ゲームバランスが悪かったということ。
DQ11の良さというのは「映画」の良さであって、決して「ゲーム」の良さではないんだよなあ。
本当の「のめり込む」楽しさというのは「映画」でなく「ゲーム」でないと表現できないものだ。
ゲームバランスに難があるのは、
開発者が完成品をちゃんとプレイしてないからだと思うわ。
だからユーザーの意見のうち、どれが「正しい」意見なのかが分からない。
結果、自分に都合のいい意見をユーザーの総意と勘違いしていく。
その積み重ねが、最近のドラクエのヌルバランスにつながってるんだと俺は見ている。
DQ4のアリーナやDQ5のパパスが会心の一撃を連発する。
「おーっ、強え!!」とプレイヤーは思う。
DQ6のドランゴが仲間になって、しゃくねつや輝く息を吐く。
「めちゃくちゃ強え!」とプレイヤーは興奮する。
「ドランゴ引換券」という言葉まで生まれる程だ。
DQ11でグレイグが仲間になる。
「…ん?」「あれ?思ったほどでも無いな…。」
ここにゲームバランスを軽視してきたツケがくる。
いくら見た目や設定で強そうには見せられても、
実際の数値で強いと思わせられないとインパクトに欠けてしまう。
だからゲームバランスは大事なんだと。
3Dの使用は必要最低限にとどめるべきで、新しい技術ほど使用に慎重にならなければならない。
人類の歴史を見ても、文明の進歩が本当に人間を幸せにしたのかということだ。
例えば「車」を例に取ると、確かにこれのおかげで移動が便利になった。
物流の観点からも生活を大きく進歩させたと言えよう。
ただ半面、排ガスによる人体や環境へのダメージも考えないといけない。
地面を大量にアスファルトで埋めることの是非だってある。
そのアスファルトも常に保守が必要になってくる。
また交通事故によって死傷する人も後を絶たない。
こう考えていくと、新しい技術のプラスとマイナスを見て、
少しでもプラスが勝るならそれは初めて「文明」と言うことが出来るのだと言える。
逆に文明というのはその程度のもの。
便利というプラス面だけを見て多用すると、思わぬしっぺ返しを食うことになる。
ドラクエにおける3Dの使い方もまた同じ。
大容量のものを目いっぱい押し付ければ、プレイヤーのストレスも半端無いものになるであろう。
ここはあえて技術を制御する「引き算の発想」が必要だ。
本当に大事な時に使ってこそ新しい技術も生きるし、文明の上手な使い方と言うことが出来よう。
技術力が上がったからこそ制限しなければいけない部分は多いはず。
昔の「マリオ」の横スクロールが何故ウケたのか。
あれは技術的に3Dが無理だったことがプラスに働いてるんだよな。
プレイヤーの中で単純化しやすい。
車で言うなら、
昔の車はエンジン音がするから、近づくと歩行者はすぐに気付いた。
それがハイブリッド車になって音がしなくなってから事故も増えた。
そこで「あえて音がするようにした」のが今の車な訳やん。
ドラクエで言うなら、昔は開発に使える文字数が限られていたが、
呪文のネーミングセンスなどはかえって良かったハズだ。
アナログの時代に制限されていたことが、未来においての理想形だったというのはよくある話。
「縛りプレイ」というのは、開発側にこそ必要なものなのかもしれない。
戦闘画面だって、背景が真っ暗でアニメーションもなく、
「〇〇のダメージを受けた!!」と数字のみで説明するシンプルさ。
今のドラクエ、あるいは未来のドラクエがどんなに進化しようとも、
これを超えることは「ある意味では」不可能と言っていい。
これこそがプレイヤーの想像力をかき立て、
プレイヤーの想像力にゆだねる究極の表現方法なのだから。
初期のドラクエのゲームバランスが良かったのは、
何と言っても中村こういち氏の功績が大きいだろう。
彼が抜けたDQ6から急にバランスがおかしくなった。
(何のリスクも無しに強力な特技が使い放題。)
この辺りから堀井の感覚が劣化していったのだろう。
DQ8サブタイトル「空と海と大地と呪われし姫君」。
こんな長いネーミングを思いつく時点でちょっとアレだし、
堀井の3Dボケはまさにここから始まったと言える。
DQ9サンディの存在。後の不倫発覚のサインとも取れる。
DQ11主人公の髪型。自身の願望をゲームに投影するんじゃない。
これからのドラクエに要望することは、システム面もそうだが、 まずは
「絶対やっちゃいけないレベルでの改悪」をしないで欲しいということ。
例えば呪文の名称。
俺の基準で言わせてもらえば、ベホイム → NG、バギムーチョ → NG
ディバインスペル → NG、メラガイアー → OK、こんな感じだな。
もちろん主観が入るから、人によって判定がバラつくのは言うまでもないが、
ある程度ドラクエをやり込んだ人なら大体近い基準にはなると思う。
だから開発者にはとにかくドラクエをやり込んで欲しいわ。
呪文名に限らず、諸々の判断基準はそこから培われると思っている。
今の時代の声優って若手重視だよな。
声優業界の転機となったのは、2005年の「ドラえもん主要声優総とっかえ事件」。
声優業界を揺るがした一大事件だ。
ドラえもん、のび太、しずか、スネ夫、ジャイアンの声優が70歳前後の年齢となり、
製作サイドで思い切って全とっかえに踏み切った。
高齢化で声の切れが落ちたというのが理由だが、もう一つ見逃せないのは高額なギャラだ。
年々厳しくなるテレビ業界においては、高給取りの淘汰が進んだ。
アニメ界もこの例に漏れず、ベテラン高級取りがリストラ対象となった。
大山信代(ドラえもん)はこの人事に最後まで抵抗し、
せめて自分一人だけでも残して欲しいと嘆願したと言われている。
しかし願い叶わず降板となり、その後認知症を患ったのは周知の通りである。
こうして業界再編が行われ、若返りが進んだ。
結果としてギャラは落ち着いたが、マイナスも当然ある。
熟練の声優を排除したことにより、「能力の劣化」が進んだ。
中間世代の空洞化により、「技能の継承」も途切れがちになってしまった。
結果として「この声優、なんか合わないなあ。」「下手糞だなあ。」
という声はゲームのみならず至るところで聞かれるようになったと思う。
大山さんの件で思うのは、後を継ぐ声優は公募にすれば良かったのにということ。
プロの声優でなくてもいいから、一般人も含めて広く全国から募集すれば、
それなりにふさわしい人が見つかったんじゃないかと思う。
話題性もあっていい案だったと思うがなあ。
今のドラえもんの声ってまるで合っていないでしょ。
大山さんのあの優しさ溢れる声が好きだったって人は多そう。
DQ11Sでもベロニカの声に否定的な意見が多いけど、
選考する人に豊かな発想があれば防げる不幸はあるもんだよなあ。
ドラクエシリーズの AI は頭が悪い。
「何でそこでそういう行動を取るんだ!」ということが非常に多い。
堀井は「賢すぎると人間味が薄れる」と言ってるようだが、果たしてそうだろうか?
クリフトのザキのように、意味の無い行動を取れば
「人間味があっていいね!」と思ってもらえるのだろうか?
これからは AI の時代なんだから、ドラクエももっと賢い“知能”を作るべきではないのか?
今の技術なら、全ての選択肢を比較した上で最適行動を選ぶなど、1秒もかからずに余裕だろう。
仮に頭が良くなっても、それでゲームがつまらなくなるということは絶対に無い。
頭が良くて楽勝なら、それ以上に強い敵を配置すればいいだけの話だからだ。
バランス調整で済む問題なのに、わざわざ程度の低い AI を採用して
無用のストレスを生むのはどうかしている。最近の堀井はゲーム性をおろそかにしすぎである。
「人間味」を心配するのは、まず高いレベルに到達してからにしろと言いたい。
山で言うなら、ふもとから想像する景色と山頂から見る景色とでは「天と地の差」がある。
山頂から見てなお「人間味が無い」と感じたならば、そこで手入れをすればいいだけのことである。
DQ11世界のうち
1、勇者とベロニカが居なくなった世界 → 天空シリーズ
(カミュはDQ6主人公の祖先。デルカダールはテルパドールになった。DQ6上の世界の未来がDQ5、下の世界の未来がDQ4。
DQ6主人公とバーバラの子孫がDQ4勇者。髪の色が「青+オレンジ=緑」となる。)
2、勇者が過去に戻りニズを倒した世界 → ロトシリーズ下の世界(=DQ1&2の世界。デルカダールはデルコンダルになった。)
3、セニカが過去に戻りローシュとの再会を果たした世界 → ロトシリーズ上の世界(=DQ3の世界)
俺はこんな認識だけどな。
勇者の系譜としては、
DQ11勇者 → DQ1勇者
ローシュ → DQ3勇者
と思っている。(ただしどっちもロトの勇者)
周回プレイを楽しめるかどうかは、ゲーム性の高さによる。
DQ11のように「映画」としての側面が強いと、あまり周回プレイには向いてない。
ストーリーが良いだけのゲームは、1回やると先が分かって興味が半減するから。
何回もやろうと思うゲームってのは、ゲームバランスが良いかどうか、これに尽きる。
DQ11は「ドラマ部分」に偏って力を入れ過ぎた。
そのお陰で「ゲーム部分」は御座なりにされた感じ。
スクウェアとエニックスが合併する時に
「ドラクエがFF化するんじゃないか」
という危惧がファンの間から聞かれたけど、
まんまその通りになって笑った、と言うか呆れた。
もっとゲームバランスに力を入れないといけない。
DQ11はスキルによる多様性があるお陰で俺は周回プレイしているが、
惜しいのはレベルがマックスになるとスキルパネルがほぼ埋まってしまう点。
DQ6や7で職業を極めると、みな同じ能力になってしまうのによく似ている。
これを改善すれば個性も増して、より周回プレイに向いたものになるんだけどな。
その点DQ3や5は「プレイの多様性」という面で優れている。
どの職業、どのモンスターと旅をするか、その組み合わせが豊富で毎回違った旅になる。
そういう「一期一会」みたいな、その1回限りの旅、
アイデンティティというのはとても大事なものなんだよ。
呪文特技のかぶりが多すぎるんだよなあ。
一例をあげると、
バイキルト(シルビア、ベロニカ)、ピオリム(シルビア、セーニャ)、マホカンタ(ベロニカ、ロウ)
マジックバリア(ベロニカ、グレイグ)、マホトーン(ベロニカ、セーニャ)、ザラキ(セーニャ、ロウ)
火炎斬り(主、カミュ、シルビア、グレイグ)、スリープダガー(カミュ、シルビア)、暴走魔法陣(ベロニカ、ロウ)
他にも山ほどある。
回復呪文は仕方ないにしても、それ以外は出来るだけかぶらないようにするのがバランス的には正しいんだよな。
でないと、「〇〇の呪文を使いたい、えっと誰が覚えてるんだっけ?」となった時にキャラがすぐに出て来ない。
全部 AI に任せてればそんなことにはならないけど、頭が悪くて任せられないからな。
使用者がダブると、この呪文(特技)はこの人!というアイデンティティが崩れてしまうんだよ。
そこが問題だ。
バイキルトをベロニカもシルビアも使えたら、それだけでシルビアの魅力は半減なんだぜ?
唯一ダブってもいいのは勇者くらいなもの。
他人の呪文特技も、ある程度までは使いこなせるのが勇者のアイデンティティだったはずだから。
堀井が意図する「収束する世界観」よりも、
ユーザーが意図する「パラレルワールド」の方が設定として面白い。
そこが全ての本質的な問題なんだよなあ。
ムキになってパラレルを否定することは、才能の差を認めてるに等しい。
そもそも開発者が発売後にしゃべってもそれは後付け、
かついくらでも上書き可能な意味の無い方便。
「沈黙は金なり」、しゃべればしゃべるほど作品の質を落とすだけ。
クリエイターはあくまで作品の中身で勝負しろ!と言いたい。
開発者の言ったことなど、
作品そのものから読み取れる内容に比べたら蚊ほどの価値も無い。
文化芸術部門というのはそういうもの。
特に時間が経てば経つほどそうなる。
彫刻作品でも何でもいい、それを見た後世の人は
作品そのものから何かを感じ取るのであって、
作者が言ったことなど興味は無い。
ベートーベンの「運命」を聴いた人はあのメロディが記憶に残るのであって、
ベートーベンが何を言ったかなど専門家以外は知らんわ。
エンディングの赤本と緑本については
開発者がさも意味あり気に語っていたが、
結局「11S」では謎は明らかにならなかった。
おそらく当初の予定では、オリジナル版でベロニカが死に、
switch版でセーニャが死ぬ、というシナリオだったのだろう。
何故そう言えるのかと言うと、ベロニカの服の色が赤で、
セーニャの服の色が緑だからだ。(本の色とピタリと一致する。)
それに「双賢の姉妹」と名付けているのだから、
片方だけが死ぬのではバランスが悪いということも言えると思う。
「11S」というタイトルには、
セーニャの「S」という意味も込められていたのだろう。
ところがネット上でこの予想は早々と出てしまったために、
予定変更せざるを得なくなったといったところだろう。
その後堀井が「エンディングの本は3DSとPS4を表す」と言ったのは、
苦し紛れの後付け論と容易に想像ができる。
何故なら以前は「本の色に意味がある」という趣旨のことを言っていたのだから、
この説明では辻褄が合わないし、本の謎は残ったままだからだ。
これは開発者がしゃべり過ぎたのが失敗の原因だろう。
本に関することを言わなければ、誰かに気付かれることも無かったハズだ。
逆にちょっとでもヒントを与えれば、ネットの拡散スピードは速い、
隠し通すことなど不可能だということだ。
いつまでもアナログ感覚でいたのが堀井にとっての命取り。
「沈黙は金なり」とはよく言ったものである。
デルカダールの地下水路に出て来る竜。
あれはブラックドラゴンじゃなくて「グレイグドラゴン」でいいと思う。
グレイグのペットということにして、顔もグレイグに似てるとかにすれば…。
グレイトドラゴンの色違いだから「グレイグドラゴン」、いいアイディアだと思うがなあ。
このスレで定期的に
「市村がDQ4でピサロを仲間にしたのは大失敗だった。」
と書き込んでる奴が居るけど、
俺に言わせればあれが市村の最高実績だと思うぞ?
あれを批判してる奴の方がハッキリ言って
ドラクエの「ド」の字も理解してない感じだわ。
そんな奴がこのスレでDQ11の何を語るんだ?っていつも思うわ。
あのピサロ仲間の良かった点は、
「呪文」がメインの世界観に「特技」を持ち込んだらどうなるか?
というユーザーのちょっとした疑問を、ピサロを通して演出してみせた点だ。
一人だけが「ムーンサルト」や「魔神斬り」などの特技を使えることで、
「呪文」に対する「特技」の価値観や存在感をうまく表現したと思う。
しかも「クリア後限定」ということで、
元の世界観を損ねることなく実現した点が素晴らしい。
同時に「ピサロ救済」を成し遂げた点も見逃せない。
あれを批判しているのは、
「ドラクエの何たるかを理解してません。」
と自ら自己紹介してるようなものだ。
すぎやん最後の作品になるのか。
そう考えるとドラクエは12で最後にして欲しい
ムービーの手抜きが気になるな。
例えばサマディーでシルビアが芸を見せるシーン。
switch版とPS4版だと、客に投げた短剣を火で燃やしておしまいなんだ。
それが3DS版だと、
燃えた短剣をジャグリング → 客席に飛ばしてムチで一閃 → 剣が花になって花瓶にささる
ここまでやるから、演出がまるで違うんだよな。
基本的に3DS版の方が、細かいところにまで配慮が行き届いている。
ゾーンの連携だってそう。
「お宝ハンター」や「ビーストモード」などを機種別に見比べてみて欲しい。
ベロニカが死ぬ前夜の会話なんかもそう。キャラの表情や仕草がまるで違うのが分かる。
ケトスの泳ぎはどうか。
3DS版は曲のスピードに合わせてゆらぐように泳ぐのに、
switch版とPS4版は速すぎて曲のテンポとかみ合っていない。
こういうの1個取っても、11Sは「完全版」とは程遠いことが分かる。
オリジナル版と比べて劣る部分が多々あるようでは、
「やっつけ仕事」と言われても仕方がない。
(エマとペルラの渡る世間)
エマ 「あ…おばさま!おはようござ…」
ペルラ「とっとと洗濯しな!!」
エマ 「……」
ペルラ「まったく!気の利かない子だよ!」
※「渡る世間」のBGMが流れてくる
>>1
DQ12のタイトルロゴを見ろ!?
色合いがまんまダークドレアムじゃねえか!
これでダークドレアムと無関係ですなんて通りっこないって言うの!!
加えて堀井が
ダークなドラクエ
なんて発言したらもうバレバレだって言うの!
堀井の欠点は
俺はこんなに凄いんだ!
と表に出すのを我慢できないエゴにある
だから「ダーク」なんていう決定的キーワードを発してしまい、
DQ12の主人公=ダークドレアムだと見破られてしまうんだ
もうこれはプロ意識の欠如と言う他に無い
もしも内部機密が漏れたならまだ言い逃れも出来ただろうが
簡単に見破られるヒントを自分で出しておいて
そのまま見破られるとかこれはもうプロとは言えんでしょう
失敗の原因を相手に求めるな、自分の内に求めよ!!
それが大金を得て働くプロの在り方というものだ (デク 対 魔王)
デク「アニキ〜」
オルゴ・デミーラ
「神の作りしデク人形よ……その身に宿りし命を投げ打ってまで、神に恩義を果たすというか……。
我は倒れぬ。我は死なぬ。我こそは万物の絶対的存在なり……。
我に従うこそ誇りなり。我に逆らう事過ちなり。デク人形よ……その愚かなお前達に今一度考える時間を与えよう……。
それぞれの生ける場にて苦痛を受け入れつつ、人生を閉じるのもよい……今すぐこの場で死ぬもよい。さあ、選ぶがいい……。
愚かなデク人形よ……お前達の命はどこまで行ってもお前達の物……。神のために使うべき物ではない……。
我の言葉の意味……死をもって知るがいい!!」
やーめた!…と思ったんだけど、
体験版のエラー直すまでは残しておかないと
良くないと思ったので復活
問題解決したら辞めます
今まで応援してくれた皆さんありがとう
前から決めていたラインに引っかかったので辞めます
やるべきことはやってからやめるのでご安心ください
またどこかでお会いした際にはよろしくお願いします
ご丁寧にどうも
あなたに言われるまでもなく自覚してるんで
二度と話しかけてこないでくださいね
「みちくさ冒険ガイド」の147ページ。
“復活の杖” の初登場はDQ3と書いてあるけど、DQ5だろ?
ほんと、こういう基本的なことを間違えるなんて、
スタッフの質も落ちたもんだと思うわ。
「冒険ガイド」自体もどうでもいい情報が多くて、
正直値段と釣り合ってないと思ったわ。
フィールド曲ってまんま軍歌だなw
昭和の初期を連想させる。
そのフィールド曲の繰り返しになる直前のメロディが
「金の無駄」 と聞こえるのは俺だけか?
大体1分7秒くらいの所。
漫画にたとえると、DQ3は「ドラゴンボール」。
全体的にバランスが良く、短所が少ないのが特徴。
一方のDQ11は「ワンピース」。
大作なんだけど、短所も目立つ。
ヨッチ族は普通の人には見えないが、ヨッチ村に行くと見ることが出来た。
ケトスもそれと同じで良かったのに。
大空には無数の鯨が泳いでいるが、普通の人には見えない状態。
“天空のフルート” を使うことで初めて見えるようになる、とかで。
それなら最初に「神の岩」でロトゼタシアがいかに広大かを示したことともつながる。
最近じゃ崖から落ちた主人公を救ったのはケトスという説もあるそうだ。
ロウは16年前の4大国会議の時点ではまだ白髪じゃない方が良かったな。
その方が16年間の苦労をより表現できたと思う。
そもそも名前が偽名じゃないのに、グロッタをはじめ各地で正体がバレないのが不思議。
外見が大きく変化していて、周りが気付かなかったとかなら納得がしやすい。
「最後の砦」で絶望に打ちひしがれてる住民たち。
その中の少年がハンフリーのポスターを大事に持っていて、
生きる支えにしてるような描写は欲しかったよな?
DQ11のフィールド曲ってまんま軍歌だなw
昭和の初期を連想させる。
そのフィールド曲の繰り返しになる直前のメロディが
「金の無駄」 と聞こえるのは俺だけか?
大体1分7秒くらいの所。
>>1
三国志・戦国でやってくれ
てか、そっちで建てたのアンタだろ 街の探索が煩わしい。新しい街に着くたびに苦痛を感じる。
あれを全部調べて会話をしてたらどれだけ神経を使うか。
3Dは、眺める(See)分にはいいが、探索する(Look)にはストレスを伴う。
もう完全な3Dはフィールドだけでいいのではないか。
街は従来の上から見下ろすタイプの方が探索がしやすい。
フィールドに出た時の開放感を出す意味でも、街の3Dは抑えめにした方がいい。
戦闘も、雑魚戦は3Dなど使わず、ボス戦のみにすればいいのではないか。
雑魚戦とボス戦とでは、根本的に考え方が違う。
雑魚戦はDQ5(リメイク)のようなスピーディーさ重視。
ボス戦は逆に演出重視で、3Dを全面的に使った大がかりな戦闘。
(DQ4リメイクのデスピサロ戦のような感じ。)
その方がメリハリも出てくるし、プレイヤーも爽快感が残る。
3Dを使い過ぎるから戦闘時間が長引き、結果として
経験値とGを増やすという「補修」が必要になってくる。
呪文のネーミングは5文字までだろ。
「ディバインスペル」とか「マジックバリア」とか長いの程センスが悪い。
「マジックバリア」は個人的には「マバーハ」で良いと思っている。
そもそも無くてもいい位だ。整理することも必要。
4文字だけど「ベホイム」も残念。「ベホイミ」とダブってる上に言いづらいわ。
次作ではもう「ベロニカ」に変えたらどうなのか(笑)
他に攻撃呪文の4段階目も5文字を超えるが(ギラグレイド、イオグランデなど)、
これらはネーミング以外に、「4通りも必要だったのか?」という問題もある。
あと「てんきよほウシ」は「ラナリオン」に変えて、「ラナルータ」と共に追加して欲しい。
「ベホマズン」の扱いについて。
この呪文を覚えてるかどうかでゲームの難易度がガラリと変わってくる。
本作では主人公とセーニャの2人が覚えるが、主人公だけで良かったのではないか。
それだとDQ4の時にあった「主人公に色々させたいのにベホマズン要員になってしまう。」
という批判があるかもしれないが、それを解消するための消費MP増だ。
MPの少ない主人公ならば唱える回数にも限りがあるので、バランス上もうまくいく。
「ルーラ」で頭をぶつけるのは、もういい加減やめて欲しい。(3DS版)
ゲームスタート時に大抵の所は天井があるから、
すぐに「ルーラ」を使えないのが軽いストレスになる。
(グロッタなど街全体が屋根に覆われている。)
イベント時に脱出できないよう理由付けしてるのは分かるが、
それよりもプレイヤーの快適さの方が大事。
DQ4で、ミニデーモンが「ルーラ」を唱えたら頭をぶつけて気絶した、というのがあった。
これはギャグとしては面白かったが、それをそのままゲームに持ち込んでは駄目。
それならばイベントの時だけ頭をぶつける仕様にすればいいのではないか。
1回目は「頭をぶつけた」、2回目以降は「不思議な力が働いてるようだ」の文言追加で。
(洞窟からもルーラで脱出できるようにし、リレミトは「1階層前に戻る」に仕様変更で。)
それと街中での移動について。
1回行ったことのある店や教会等へは、「トベルーラ」で行けるようにして欲しい。
フィールド上も、小屋やキャンプなどのちょっとした場所へは「トベルーラ」で。
AIがとにかく頭が悪い。
「ピオラ」連発シルビアに「スカラ」大好きグレイグ。
こういうのを「人間味がある」と勘違いしてやいないか?
初期のドラクエと違って、これだけデータの細分化が進むとAI抜きの攻略は考えられない。
(敵の種類やこちらの攻撃方法がぐんと増えた。全ては把握できない。)
それだけに使うAI が馬鹿だとストレスも半端ない。
スリープダガーで眠らせた敵を、次のキャラが倒しにいってどうする?
隣でピンピンしてる敵を攻撃するべきだろ?
全体攻撃を使わずに単体にMP消費系 → 後続が全体攻撃、とかも訳が分からん。
各キャラが「点」で動いていて、「線」になっていないんだよな。
今すぐ倒さなくても、次のターンで先制可能ならばMPは温存するとか、
そういった高度な戦術は無いのか?それならば「おーっ」となる。
DQ4で初めてAI を導入した時は、かなりの冒険だったはずだ。
それでも早い時期の導入に踏み切ったのは、将来を見すえればこそ。
それが今のあのAI では、あの時の苦労は何だったのかという話になる。